PCに対する価値観の考察

お久しぶりです。

株式会社Fillotも、あとしばらくで起業して1年になります。
まるで5年のように長く感じる1年ではありますが、非常に優秀な仲間や先輩に
恵まれ日々新しい事を学びながら驚きの毎日を過ごしております。

さて、ここ最近、技術屋と芸術家それぞれと話しをする中でPCに対する価値観の
違いに驚かされる事がありました。価値観は人それぞれで、一概に何が正しいと
は言えませんが、その内容が面白かったので紹介します。


・ある技術屋の友人いわく。
「PCは相棒だ、名前をつけてかわいがる物だ」
彼らはPCを相棒として捉え、一緒に歩むものとして考えています。


・ある芸術家の友人いわく。
「PCは道具だ、自分の作り出す物こそが自分の息子だ。」
彼らにとって、PCは道具であって、理想の息子を生み出すために「使う」物と
いう感覚で居ます。


このブログを見る人々からすれば、前者の意見を持つ人が多く居るとおもいます。
自分は両方理解出来ますが、どちらかというと後者の意見に近いです。
これは製作をする環境の違いよって生まれた差かもしれません。


デザイナーは理想とする作品の像を生み出すためにアクリルを使うか、シルク
スクリーンを使うか、PCを使うかを選択し、最終のビジュアルを表現するのに
合った道具を選択します。
これらは現実世界の上で行われるため、PCは道具の選択肢の一つに過ぎず、PCに
進んで名前をつけるような事はほとんど見たことがありません。
ハサミやカッター、定規に名前をつける人が居ないのと同じ理屈ですね。


技術屋は理想とする処理(作品)を生み出すため、デザイナーが道具を選ぶ
ように、C++を使うかRubyを使うかPythonを使うかを考え、その処理にあった
言語を選択します。
これらの選択は全てPCの中の世界で行われるため、それを実行するPCに対して
大きな愛情をもっている人が多いように思われます。


このような製作環境の違いがPCに対する価値観の違いを生み出し、日々様々な
場所で不思議なコントを生み出しているのではないでしょうか(笑