劣化について考える

今学校の課題で情報の伝達を劣化させるプログラムを書いている。
文字を画面上に書いてドラッグして上に投げると指定したPCに転送されるものだ。

現在のWEBアプリではSendボタンを押せば文章が投稿されやり取りされるわけだが人と人が似非3Dのボタンひとつで繋がるのはいかんせんよろしくない。
だからといってWEBカメラでつながりを大切に、というのはいかにも安直すぎやしないか。

そもそもが全てに対して情報を正確に伝えることを意識しすぎているとも思える。
元来情報は劣化するからこそ注意したり気を配るのではないだろうか。

たとえ考えていることが同じであっても相手に名刺を渡す際に名刺の向いている方向の差だけとっても印象が変わるほど人と人が接するときには膨大な情報を出し入れしている。

さらに気を使っていたとしても言葉は空気振動伝達の劣化等によって問題が生じるのが定石だ。

それを解決するためにメールなどを用いることは非常に良いとはおもうが、生活内のコミュニケーション内にまでワンクリックコミュニケーションが浸透するのはいかがなものか。

確かに文章では大きな劣化が起こり辛く、情報も残るため誤解による後々のトラブルも少ない。が、生活レベルでは人はもっと劣化による誤差やそれに対応することを覚えていないといけないと思う。

まあ、賛否両論とはおもうが、今このような理由から、そっとドラッグして転送すると劣化が少なく、雑に放り投げて転送すると激しく劣化するという、まあ普通にみたら不便なプログラムを作っている。
このようなプログラムは正直社会の役にはたたないが、人とコンピュータの間を考えるには必要なものと思う。

そのうち作ったFlashと資料を公開します。