プログラミングデザイン

くだらないといわれるかもしれませんが、プログラムとデザインについては暇があればいつも考えています。
今回未踏ユースに参加してさらに色々と考えさせられました。

・デザインって
よく グラフィックデザイン=デザイン という意識を目にするわけですが、この式はほぼ正解だと思います。ですが、同時に デザイン=グラフィックデザイン と思われていることも多く有ります。これは思想にもよりますが不正解かと思います。
最近プログラムをバリバリやっているとよく、なぜデザイナなの?なぜ美術学校なの?と聞かれます。
デザインは設計だ、とよく言われています。物を作る上で考え、それを形に結びつけるプロセスこそがデザインと呼ばれるからです。なので、これだけを考えればデザイン学科が別に美術学校にある必要性は無い様に思われます。
デザイン学科が美術学校に有る理由は、まず第一に物作りの精神、第二にイメージをビジュアルに起こす必要、という条件があるからに他なりません。

・プログラムとデザイン
現在、世の中では エンジニアリング、デザイン、マーケティングがバラバラに動いている状況をよく目にします。
自分も、プログラマが機能を作りその上にデザイナとして画像を重ねるという手順を経験したことがあります。

新しくて良いものを作ろうとしたとき。

例えば、紙で工作をしたことが無い人が、細い足で立つオブジェを作ろうとしたところで、結果は足が自重で潰れ、崩れることとなります。紙を良く知り、紙と交わり、崩れないギリギリの細さや工夫を知っている人は、その限界の細さの足でオブジェを作ることでしょう。
素材を知り、素材と交わりながら物を生むという物づくりの精神こそがデザインの原点にもなります。

紙を良く知り、工夫できる。これはエンジニアリングに関わる部分です。
プログラムの世界で、デザイナがいくら夢のある発想をしたところで、実現可能限界を知らなければ、その限界は完全にプログラマに託され、プログラマが不可といえばそれは不可となります。
デザイナがプログラムを良く知り、可能限界を知ることで可能限界ギリギリでの発想を実現する判断が出来るようになります。
プログラムをよく使い、よく知り、発想を実現する限界を知る。これは物作りの精神です。
又、コーディングの能力は、グラフィックデザイナが自ら鉛筆を持ちビジュアルに起こす力と同じことです。

今回未踏ユースで見てきた方々は、プログラムという筆を持ち、様々な発想をPC上に描画する新時代のデザイナーに他なりません。

未踏でも、なんでデザイナーなのにプログラマをやっているの?と様々な人から言われました。
とんでもございません、皆様こそ立派なデザイナーでは無いですか!
と、思う次第でございます。